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短歌評論

錦見映理子の既発表文章です。こちらのサイトから引用する場合は必ず連絡をください。無断転載不可。(ネット上も同様)

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歌の「わたし」はなぜ死んだか(「未来」2012年九月号)     錦見映理子

 
今回は「短歌研究」昨年七月号の斉藤斎藤「証言、わたし」について考える。震災後、自分に何らかの強い作用があるもの(自分のいる場所を移動させられるようなもの)を見聞きして未だ混乱の中にいるが、そのうち短歌では、これが私に強い作用があった。まず十首すべてを挙げる(便宜上、番号を付させていただく)。

① これわたしの家内の実家の船なんです わたしの家内の、妻の実家の
② 玄関です ここに鍵があって開けるんです 階段があって8畳、5畳
③ 前のめりのヘリコプターは水平に左ってことは北東へ向かう
④ あそこに相当遺体があるのではないかとわたしは思っています 瓦礫(ガサモク) 
⑤ 変わっていない ただ水が引いただけです   ご遺体のみなさんに謝りました
⑥ 三階を流されてゆく足首をつかみそこねてわたしを責める 
⑦ 情報提供はなかったです うん、なかったです どうなんですかねえ責任の所在が
     ただいま 波が 押し寄せて おります
⑧ じいちゃんこっちこっちじいちゃん上がってこぅてば くそっ、手も足も出ねえよこれじゃあ
⑨ 撮ってたらそこまで来てあっという間で死ぬかと思ってほんとうに死ぬ
⑩ えー なんとか無事ですが 器物損壊などの被害が、 津波が来るそうです

 誰かの発話をそのまま並べたような、たいへん奇妙な一連である。①は、これは妻の実家所有の船だと誰かが言っていることしかわからない。どんな船がどこにどのように存在しているのか、手がかりは全くない。なぜか家内と二度繰り返し、妻と言い換え、つまずくようにしゃべる誰かの声だけが聞こえてくるだけだ。②も誰かの発話だが、「玄関です」とわざわざ説明することから、それがそこに無いらしいことがわかる。発話している人と鍵だけがそこにあり、見えない家の構造を誰かに説明している声のみだ。
これらを読んですぐ思い浮かべるのは、津波被害にあった人の話を聞いているという設定だ。と同時に、舞台劇を見ているような感覚も浮かび上がってくる。
被災した町を想定しつつ、何もない舞台に響く役者の声だけを聞いているような感覚にもなる理由は、ここに場所や名前などの固有名詞が無いからである。そのため、声は主役のものではなく、その他大勢の声に近くなっている。無名の、誰かの声だけが、会話することなくあちこちからつぶやくように重なって空間を作っている印象だ。感情を表す言葉は使われず、情緒が発動されないよう完全に客体化された、一人ぼっちの声たちである。
極限まで客体化された存在を傍観すると、空間は時々喜劇に近づく。わずかでも喜劇に近づくと、震災を思い浮かべた読者(観客)は、居心地が悪くなる。おそらくこれらの歌は、その居心地の悪さを目指している。
 ここには、昨年五月十四日深夜にNHKで放映された「福島県浪江町〝警戒区域〟原発20キロ圏内の記録」という特集番組での、町職員の渡邊文星さんが実際に発話した言葉がいくつか使われている(当時の自分の日記による。映像は再確認できず)。だがここには、渡邊さんも町の名もなく、情報は限界まで削除されてしまっている。ここにあるのは誰かに向かってしゃべる誰かの声だけで、読者はそれに耳をすますことしかできず、客席で傍観することを強いられる。歌の主体への同情や共感を、書き手は意図的に禁止している。
 さらに一首ずつよく見ると、会話文体なのは①②④⑤⑦⑧⑩のみで、二首おきに台詞風ではないものが挟まれている。③は誰かの見た風景(テレビ画面で見た原発への放水か)、⑥と⑨の主体は書き手と重なって読むこともできる、いわゆる普通の(?)短歌的な私である。
 ⑥と⑨はなぜ誰かの声として書かれなかったのか。そして⑨の歌の主体はどうして死ななければならなかったのか。「死ぬかと思った」で終わればこれも誰かの声として無事に並ぶことができたはずなのに、「ほんとうに死ぬ」としたのは、なぜか。
 ここで、同じ頃に作られたと思われる「短歌往来」昨年八月号掲載の「実際のそれ」十三首からも少し挙げる。

  泥水の瓦礫の底にそれらしき目で掻き分けてよく見れば基礎 
  いま来たらここ駆け上がる石段をのぼれば本気のテントは並ぶ

 目の強度を極限まで上げた、優れた写生詠である。「証言、わたし」は耳による再現、こちらは目による再現という違いがあるが、個人の気配が最小限にされている共通点がある。最大にされたのは主体の目や体の動きだけで感情ではなく、見えるのはテントや瓦礫のような物ばかりで人はいない。一人ひとりの「本気」は「テント」として表現され、情緒はここでも排除されている。
 この徹底的な、個人情報と情緒の排除は、そもそも斉藤斎藤という歌人の出発点からの特徴であった。歌集『渡辺のわたし』を少し読んでみる。まず冒頭の三首。

 お名前何とおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする
 「こんにちは」との挨拶によりこのぼくをどうしてくれるというんですか 
 ガム味のガムを噛んでる音により自己紹介とさせていただく

一首目は名前という固有名詞を取替え可能な記号のようなものとして扱っている。ここにかけがえのない自分というものは存在しない。次の二首目では、他者との関係を無にしている。淡い関係の他者への奇妙な詰め寄りによって、他者とは突き詰めればどうにもしてくれない存在であることをわざわざ読者に確認させている。名前も関係も希薄な主体を知る手がかりは、三首目で、聞こえるか聞こえないかの「ガムを噛んでる音」として表現されている。ガムには味はなく、聞こえたとしてもその音は不快である。
斉藤斎藤という書き手は、このように歌の主体と他者との関係を扱う。自分とははっきり他者と区別できる個人であり、そこから何らかの関係が築かれる、という近代的自我の把握に基づくものとは全く違う扱い方である。
 わたくしの代わりに生きるわたしです右手に見えてまいりますのは
初句の「わたくし」とは、先に述べたような近代的自我としての個人であると思われる。その「わたくし」はもはや失われており、その代わりに今生きているなんだかよくわからない「わたし」というもの、それは客体化することでしか確認できない、と言っている歌だと読める。
近代的自我としての「私」を、短歌は長いあいだ主体として使ってきた。タブーであった虚構の私を使って歌を作った寺山修司も、歌の中の私のプロフィールから逃れる必要はなかった。情緒を最小限化して時代の雰囲気を読み取り歌にした荻原裕幸も、主体が「私」であることから逃れることはしなかった(例えば「恋人と棲むよろこびもかなしみもぽぽぽぽぽぽとしか思はれず」も、感情を最小化しているだけで、何事か思っている「私」がいることには変わりない)。そこからさらに社会や生活の有様が変化することによって、近代的な自我の手触りを信じることはもうできなくなったことが、『渡辺のわたし』からは読みとれる。かすかにものを咀嚼する音でしか個人の存在を確かめられなくなっているという斉藤斎藤の把握に従うと、現在の個人とは、感情や意志を元に他者との関わりを明確に築くものではなく、点々とあちこちにただ存在する場所のようなものとして捉えられると言えるかもしれない。そのために場所を案内するバスガイドの声が、先の歌で採用されているのだと思われる。
『渡辺のわたし』には相聞歌や家族についての歌がこのあと並ぶ。そこでも情緒は徹底して排除され、不条理劇のような連作が展開される。不条理劇は演劇とは何なのかを問いかける側面があるから、短歌的私とは何かを常に問いかけて歌を作り続けている斉藤の歌がそれと似ていることは興味深い。

  「だぁ~れだ?」あなたの声とぬくもりの知らないひとだったらどうしよう

 距離の近いはずの恋人との関係を通して、間違えようもないはずのものが失われている可能性を示している。失われた「わたくし」の代わりに生きている「わたし」は、情緒的な言葉ではもはや一人ひとり確認できなくなったとしても、感情が消えているわけではない。近代短歌のころと同じように悲しくなったり喜んだりしているはずである。ただ、愛情や悲しみそのものが、近代短歌的な方法ではもう読者に届きにくい、ということだろう。

 ちょっとどうかと思うけれどもわたくしにわたしをよりそわせてねむります

と歌集の最後にあるように、近代的自我の「わたくし」を完全に排除はできず、場所として確かめるしかなくなった「わたし」を一応は仲良さそうに寄り添わせて、歌を作りますよと言っているように読める。ここにあるのは「わたくし」と「わたし」と書き手のつくる三角関係で、その三角形の有り様を読者は見せられる。
 先の「証言、わたし」では、群像劇のように舞台上のあちこちから歌の主体が声を出しており、読者は離れた客席でそれを見ることになる。そのとき書き手がどこにいるかというと、舞台上の一人ひとりに寄り添ったり離れたり重なったり、微妙に場所を移しながら気配を消すという、奇妙なことをしているようだ。歌集にあったようなわかりやすいトライアングルを読者に見せることは、何らかの理由で今回はできなくなっている。
 連作をさらに読み進めながら、歌の主体と書き手と読者の、それぞれに何が起きるか、見ていきたい。
④の「相当遺体がある」という声のあとに⑤の「ご遺体のみなさん」という声が響いたとき、舞台上にいる人々の他に、多数の死んでしまった人々が存在する(していた)ことが観客に伝わる。そのすぐ後に置かれた⑥の自責の念は、他者の声ではなく「責める」という終止形により「わたし」に向けられている。ここで初めて、観客席にいるしかなかった読者は、歌の主体に少し近づくことを許される。
⑦は責任問題を冷めたような口調でつぶやくのだが、これは誰の発言かで相当意味の変わる言葉として書かれている。言い逃れにも、あまりの状況に無力になった人の言葉にも読める。ここでまた少し近づこうとする読者の心を遠ざけたあとに、⑧の津波警報的詞書のつけられた必死な人の声が置かれる。しかし声だけしか聞こえず「じいちゃん」の姿は見えないから、観客は聞くだけで近寄れない。目より耳のほうが感覚としては鈍い。だからこの必死な声は本人の必死さとは落差のあるものとして観客に届き、滑稽さが漂ってしまう。ここで読者のいたたまれなさは非常に高められる。
そしてついに⑨で歌の主体は死ぬ。「ほんとうに死ぬ」と書かれる直前まではそこにいてしゃべっていた歌の主体が、「ほんとうに死ぬ」のところで何か別の存在になる。死んでしまえばしゃべれないはずのこの人は、どうしてしゃべっているのだろう。そして書き手はこのとき、どこにいるのか。
 死んだ人が自分を客体化してこのように述べることは、舞台劇であれば普通かもしれないが、これが短歌であることが問題である。短歌であれば歌の主体=書き手として読まれる可能性があるから、書き手が死んだふりをしているかのごとき歌になる。冒瀆的な感じがする。だが実は、死んだふりが冒瀆的なのではない。「ほんとうに」から「死ぬ」への言葉の接続が、冒瀆的なのである。
「ほんとうに」死んだのはいつなのか。どこからが「死」なのか。「ご遺体のみなさん」という奇妙な言い方は、遺体を物体ではなくまだ人間であるとする意識の表れである。だが実際はそれを物体として放置して、逃げるということを選択しなければならなかった。まだ物体ではなかった人たちが、そこにいたのではないか。生者の一人ひとりが身近な人の死を受け入れるために必要な、個別の時間や感情に、一律の線を引く必要があったとき、こぼれてしまう何かを、言葉はどう表したらいいのか。それらの問題への意識が、この歌の「ほんとうに」と「死ぬ」の奇妙な接続に表れている。
「ほんとうに死ぬ」と生死の線引きを不自然にくっきりされることで、逆にその線引きへの違和感を読者は強く意識する。その違和感は書き手に向かっていく。死ぬって書いてるけど、そんなのわからないじゃないか、お前は生きてるくせに。という風に。
書き手は読者に罵倒される可能性のある場所に身を運ぶことで、あなたも私も死んだ人にはなれない、と言っている。
「死ぬ」と書かないと死んだ人になれないことが表せない、ということではないだろうか。死んでみないと、死んだ人の気持ちにはどうしてもなれないことが本当にはわからない、ということを示すために、歌の主体は死んだ。
書き手は歌の主体に重なってみせることで、絶対に重なることができない場所に死者がいることを読者に強く示す。ぎりぎりの選択だなあと思う。これが短歌である限り、死んだときに自分の死を意識することはできるのかという疑問が残るからだ。
それでも、それだけはわかるということを、斉藤斎藤は選択した。その選択した地点に、私は行くことができるだろうか。できないならそれはなぜだろうか。したくないとしたらそれはなぜだろうか。そのことを、ずっと考えている。
 
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